若林さんが東京ドームの漫才で披露した「自分への感謝」について

私は若林さんのファンだ。というのも私は「他人になかなか心を開くことが出来ない」「なんでもすぐ疑う」「飲み会やお祭りなど集団で盛り上がれない」といったことで苦しむことが多々あり、ゆえに若林さんがこれまで出されたエッセイと月2回更新のnoteに綴られている葛藤に勝手ながら共感し、活躍する姿に勇気をもらっていたからだ。
そんな中、若林さんが自己嫌悪だらけの下積みを経て登り詰めた今回の東京ドームという舞台での最後の漫才のテーマが「自分への感謝」なのが最高にグッときてしまった。そして、その旨のことをXでポストしたら予想以上に反響があった。

注目されるって気持ちい〜〜〜!という感情とともに、でも140字じゃ言語化できていないことも多々あるなあと思った次第で、今回もう少し詳しく考えてみたいと思いまとめてみた。なお、私の勝手な解釈が大いに含まれていることをご了承ください。

自己嫌悪まみれの下積み時代

若林さんが2度と戻りたくないと語っている20代は自己嫌悪に苦しめられていたのだと私は思う。
芸歴を重ねてもまったく評価されない下積み時代。日々貧しく、腸が煮えくり返るような不当な扱いを受け、家族には縁を切られる。芸人の上下関係や飲み会文化にはついていけず楽屋で孤立していたという。
おそらく、社会から必要とされていないような孤独感、貧困と不透明な未来に心身ともにすり減っていたのではないか。実際、何をやっても楽しくない、朝起きたら今日も評価される1日が始まると思っていたとエッセイに綴っている。

そんな若林さんは苦しみながらも自己嫌悪をエンジンにネタを作り続け、ズレ漫才を発明し2008年にM-1で大きな結果を残す。そしてその日を境に毎日テレビに出る売れっ子となる。まるでシンデレラストーリーのようなこの物語は、通常であればそこでハッピーエンドだ。
しかし依然として苦しみは続く。今度はエネルギッシュかつ自己顕示欲が強い人間の巣窟の芸能界というところで、求められる世間的な常識と多忙さについていけずに疲弊していくのだ。

若林さんは売れて認められればすべてが変わると思い努力していたはずだ。社会からの人権も周囲からの承認も得ることで自己肯定できると思っていたはずだ。だが、相方と比較して華がないこと。体力がないこと。グルメなどコメントを求められても興味がないことなど、自分の欠陥に改めて自己嫌悪になる。

自己嫌悪を笑いにし、自己嫌悪から学ぶ。

だけれども、若林さんはそんな世界で生き延びる術として「たりないふたり」という番組と「ラジオ」に活路を見出す。社会と自分への愚痴、スレた見方、世間とズレた非常識と自意識。これに対して自身を矯正するのではなく、欠損をそのままトークやコント、漫才という笑いにすることを覚える。

また、自分が世間を知らないことを恥じて家庭教師をつけ勉強を始めたことろ、自分がおかしいと思っていた感情について紐解けていくことを実感する。そして座学だけでは飽き足らず、キューバでは競争なき社会主義を、モンゴルでは家族という共同体を、アイスランドでは人との繋がりを獲得していく。また、父親の死という心に大きく空いた喪失感という穴に向き合い、結婚と家族からは他者と暮らすこと、愛するということという利他を学ぶ。

だからといって若林さんの多忙かつ息苦しい日々は変わらない。だが自己嫌悪を抱いていることから多くを得て学んでいることに気づく。
それは結果というものに左右されず、自分の好きなことに没頭すること、そして血の通った関係こそが生きるすべだということ。自身の欠損があるからこそ、それが武器になったり人と繋がる接点になったりしたこと。だから出来ないことはもう諦めて、手持ちのカードで戦うしかないこと。
そして、自分だけの生きづらさだとおもっていた自己嫌悪は想定していた以上の共感があったこと。
そこが自己嫌悪から自己愛へ繋がったのではないかと、「あしたのたりないふたり」で披露した漫才にて発した「たりなくてよかった〜」というセリフから解釈している。

ドームで披露した「自分への感謝」という御守り

そして今回の東京ドームでの漫才。オードリーのことを紹介するネタの中で、春日さんは来てくれたリトルトゥースへの感謝の気持ちを球にこめて伝えるために尻からバットを出そうとする。最初はお客さんへの感謝の気持ちを考えるもうまく出てこない。くみさん、若林さんへの感謝も抽象的なことしか思い浮かばない。でも自分のことはすらすらといい、無事バットを出す。
ここで春日さんの堂々とし周囲から愛され今もテレビに出続けている理由である「自己愛」がバットを出す肝だと明かされる。

自画自賛する人はナルシストであったり謙虚ではないと思われたりする。
普通、こういう大きなイベントの場では「お客さん皆さんのおかげで」というべきなのかもしれない。でもそうしなかった。自身の仕事を通して培ったスキルと才能。イベント成功のためにここまでやってきた努力を褒め称えた。それはなぜか。

若林さんは終盤に「みんなのお守りとなるようなイベントにしたかった」といっていた。そこで振り返ると、今回のイベント内容にあった高級車へのいたずらというのは規制が過激化する世間常識へのアンチテーゼを、DJは自分の趣味というやりたいことを恥ずかしがらず没頭し披露するということを、星野源さんとの共演は悩みを通した人との血の繋がりを見せたかったのではないかと思えてくる。

そして、漫才では自分への感謝という自己愛を我々リスナーに対しても持って欲しいという願いだったのではないか。世間の目を気にせず、冷笑に負けず、自分で自分の頑張っていること、頑張ってきたことを認め感謝するということ。そういった自己愛を持つことが、他者へも素直に感謝に出来るようになるという御守りだと伝えたかったのではないか。

以前に若林さんは著書にて「この生でどうしても世界を肯定したかった」と綴っている。そして、現在は飽きと戦い、多様性に悩み、目的を持つことの重要さに気づいたりなど相変わらず四苦八苦しながらも肯定しようと生きている。そんな若林さんが、今回東京ドームという自己嫌悪だらけの下積みを経て上り詰めた場所で発した自分への感謝だからこそ、必要だというメッセージがしっくりとくる。

没頭と血の通った関係と自己愛


現代は過去の歴史を通しても、人生への選択肢は豊富だが自己責任で、かつインターネットで生き方を相対的に比較できてしまう時代だ。これまで私が旅行したキューバラオスも、インターネットで自分たちの生活がみじめだと思ってしまい幸福度が下がったと現地の人から聞いた。かつ、インターネットでは人への攻撃や賛同が容易となってしまい、まるで魔女狩りのような誹謗中傷や陰謀論など、心のマイナスな部分を刺激するような情報が多い。
それに日本は少子高齢化、格差、災害、政治など多くの課題を抱えており、国際情勢も現在不安定な状況である。

こういった外的要因は自己嫌悪を生みやすいと思う。我々はそんな世界を生きている。でも生きるからには楽しく過ごしたい。
だから私は今回の東京ドームで見たことを御守りに今日も生きる。
若林さんのDJのように好きなことに堂々と没頭し、星野源さんとの関係のような同じ傷で血の通った人を大切にする。そしてこれまで自分がやってきたことを認め、周囲の人とともに感謝する。

それこそがネガティブな事が多い世の中をシャットダウンし好きなように生きる手段、そのように思っている。